窯元で陶工さんの話を聞くたびに胸の高まりが止まらなくなる。
最近は山陰の窯元に取材をすることが多く、話を聞けば聞くほど「今、ここで買わなくては」と思ってしまう。破産してしまうから、あまり取材先で買い物はしないけれど、器だけは考える前に買っているのだった。
窯元の成り立ちを聞くと、必ずといっていいほど民藝運動を率いたバーナードリーチや柳宗悦が登場する。彼らから直接学んだ人たちが今の民藝を支えているというのも、歴史の始まりを感じられて感動してしまうポイントかもしれない。
「用の美」を唱えた民藝運動があったから、生活に寄り添う手仕事が生まれたわけで。器を買うたびに歴史も想いも全部丸ごと受けとりました!あとは長く大切に使うから任せて!という気持ちになる。
それに陶工たちは使い手のことを考えて、形、大きさ、色にこだわりぬいて、自分なりの「美」を追求しながら、理想を見出して形にしている。これはものづくりの根幹ではないだろうか。自然任せな部分もあるけれど、それすらも味にしてしまう、この懐の深さもいい。
私が訪れた窯元ではどこも「自然と人気になった作品はあるけれど、代表作はありません。」といわれたのが印象的だった。平等にすべての作品に全力投球。撮影する商品を選ぶときにも「直感で選んだものを紹介してやってください」と。隅から隅まで見たくなるのは、そういうことだろう。陶工さんから学ぶことが多すぎる。あぁ私は陶工さんのような書き手になりたい。なれるだろうか。
0コメント